私の気象学への志望は、幼い頃、実は 某新聞社 のドサ回り記者であった父の転勤のたび、台風や大雪などに次々と遭 遇したり、母のスクラップした気象関係の新聞記事を頻繁に見たり したのに始まる。ちょうど日本の気象学が世界的大業績を次々と世 に出し始めた頃の筈で、今の私が大家と話したり古い論文を読むの が苦痛でないのは、母のスクラップ教育による所が大きいと思う。 私はいつしか空や山や海に毎日毎時現れる些細な変化を見つけ出す ことにたまらない感動を覚えるようになり、 これは40の大台に乗った今になっても 続いている。しかし一旦興味を持つとのめりこんで行く性格は、受 験勉強には決して役に立たず、私は何度も挫折や失敗を経験した。 このような私に入門者へのアドバイスする資格はないが、 多くの気象学者とは異なる私の経歴 を恥を忍んで語らせて頂こう。
まず一浪で入った教員養成系大学では、地質・古生物から天文・ 宇宙までの広範な自然現象に加え、教育など社会生活における自然 の重要性まで学べた。2回失敗後に入れた大学院では、やはり大気 に限らず海洋や氷河、湖沼やそこに棲む生物まで見聞きし、研究テ ーマとしては大型気球に風速計を積んで重力波砕波乱流を計るプロ ジェクトを割当てて頂いた。このテーマをそこでやるには限界があ り、修士2年から大学院受託学生という「正式の居候」として、宇 宙科学研究所で気球関連の航空・電気工学や、生物実験から宇宙ま での様々な観測を勉強した。しかし最初に作った風速計は全く使い 物にならず、気球観測は涙を飲んで中止し、理論の修論をでっちあ げて何とか博士課程に進学できた。観測と理論の両方の研究手法を 体得し、科学の世界の共通語である物理学を学んで、普遍的なもの の重要性や面白さと他分野で蓄積された技術を教わることができた。 その甲斐あって進学後半年で最初の気球搭載風速計が完成し、砕波 乱流の実測にも成功して、最終的には5年の年限に半年遅れたが何 とか学位をもらうことができた。苦労はしたが、市販の機械を使う ことが多い気象学の研究者としては、極めて貴重な経験ができた。
ポスドク生活、そして山口大学で再び教員の卵たちと過ごした後、 7年前に、何と入試では学部・院の計3回落とされている現在の大 学に教官として赴任させて頂いた。私のいる 「レーダー大気物理学」研究室 には、理学部(地球惑星科学)と工学部(電気系)の両方か ら卒論生と院生が来ているほか、まさにかつての私と同様な様々の 分野や大学からの大学院進学者や居候、さらに様々の国からの留学 生・ポスドクが、私の頃と違い大勢いる。ここは大学付置とは言え 全国共同利用を行なっており、また近年の大学院重点化により他大 学の大学院への進学も容易となり、要するに今はどんな大学で何を やっていようと、気象学者の道へ進むのは決して困難ではない。む しろ、気象学だけでは解けない「地球環境問題」などを打開するた めに、気象学の王道を歩んで来た人ばかりでなく、多種多様な背景 ・能力を持つ人材が気象学者として必要とされていると言える。