この講義の内容は, 気象研究ノートとして出版を準備している. 以下にその緒言と目次を示す.
慣性重力波は, 惑星流体(回転成層流体)における最も基本的な波動であり, 現実に地球大気・海洋で観測されて「重力波」と総称されているものの全てである. にもかかわらず, 自転を無視した非慣性重力波や, 自転の緯度変化に起因する惑星波に比べて, 理論的取扱いはこれまでかなりあいまいなままであった. その理由は, (1) 本質的に3次元波動となるため, 数式が非慣性波や惑星波に比べて極めて複雑となること; (2) 地球大気・海洋の小規模運動の本質的様相のかなりの部分が, 非慣性波の理論で表わされ納得されてきたこと; (3) 地球大気・海洋の大規模運動での重要性が惑星波に比べて劣ること, などであると考えられる. しかるに近年, 「重力波」の地球大気大規模運動・構造に及ぼす重要性が 大きくクローズアップされ, これに見合った観測事実もかなり集積されて より近似の高い理論が求められつつあること, さらに地球上の条件にとらわれない惑星流体力学の構築・一般化の傾向が 強まってきた. つまり慣性重力波の理論的側面を再整理しておくことは, 今後の大気科学を展望する上で時宜にかなったものである.
実はこのノート執筆は, 今から10年前, 上述の重力波に関する観測事実の集積や重要性の認識がちょうど始まったばかり の頃に, 編集委員の住さんから筆者の学位論文の内容を公にしてはと もちかけて頂いてお引き受けしたのであった. この学位論文は, 慣性(地球自転)効果を含めた重力波砕波理論(Yamanaka and Tanaka,\ 1984b; Yamanaka,\ 1985a), 大気球を用いた成層圏重力波と砕波乱流の観測 (Yamanaka and Tanaka,\ 1984a,\ c,\ 1985; Yamanaka,\ 1985b; Yamanaka et al.,\ 1985), 重力波砕波効果を取り入れた成層圏大循環の準一次元モデル (Tanaka and Yamanaka,\ 1985)から成るもので, その当時においてはそれなりの価値があったと自負していた. しかしもう少し進めればより完全になるはずと考えて脱稿を躊躇しているうちに, まさに怒涛のごとき重力波観測の進展に自己を埋没させたまま, 今に至ってしまった. その間に, 重力波の観測や砕波効果については内外に多くの良い総合報告が出版され, 一方筆者は対流圏内のメソ気象現象に重力波と理論・観測の両面で共通する さまざまの問題を見出していた. また筆者も大学や大学院で授業を任せられる機会が増え, 現時点での研究状況の総括や筆者自身の視点を整理しておく必要が高まった.
そういう訳で当初の依頼あるいは学位論文の内容のうち, 慣性効果を取り入れた重力波理論に絞って敷衍したのがこのノートである. 筆者自身もかなりの労力と時間を費やしてきた中層大気観測についての記述は 必要最小限とし, 逆に対流圏や海洋, さらに他惑星大気にまで視野に入れた理論的記述を心掛けた. この長い年月をあきらめずに督促し続け, かつ完成を激励し続けて頂いた住明正東大教授には, 心からお詫びと感謝を申し上げる. また学位論文に含まれた諸研究の共著者であり, その後もこのノートに記した内容の基礎となる無数の御教示を頂いた, 田中浩名大教授にも深甚の謝意を表したい.